マンガについて

1951年からマンガ制作を始め、半世紀以上にわたり、マンガを描き続けてきた藤子(A)先生。マンガ業界の発展に多大な貢献をしたことから、2005年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を、2008年には旭日小綬章を受章しています。

藤子・F・不二雄先生がお亡くなりになった1996年当時の社会をふまえ、マンガについて自身の思いをお話されていらっしゃいました。

30代前半の藤子不二雄(A)先生。1966年撮影(写真:『婦人公論』1966年6月号)

「いま子どもの雑誌を見ると、ほとんどがファミコン漫画などで、漫画家のオリジナルはそれこそ『ドラえもん』しかないと言ってもいいくらいでね。そういう意味で、『ドラえもん』の藤本くんがいなくなって、その穴をどう埋めるかというのが一番大きな問題だと思うんですよね。藤本くんは終始一貫して、クリーンで透明感のある子どもたちの世界を描いている。あれはいかにも日常生活漫画のようですが、実は一種のファンタジーなんですね。だからとても安心感がある。いまの子どもの生活は、悲惨な状況にあって本当に可哀相に思います。」(『婦人公論』1996年12月号)

マンガ以外にも才能を発揮した藤子(A)先生。1990年には映画「少年時代」を企画・製作。日本アカデミー賞など、多くの映画賞を受賞しています。

「僕は映画が大好きで、十何年前に『少年時代』という映画をプロデュースしたんです。すごく面白かったけれど、映画というのはあれだけ大勢の人が莫大なお金をかけて作るもので、僕は極端なことを言うと一人で紙に向かうことで、百万の軍勢だろうが宇宙だろうが何でも描ける。原始的だけど、マンガというのはそういうパワーがあるんだって、映画を作ってはじめて感じたんで、その後、また面白く描けるようになったんです。」(『婦人公論』2002年7月22日号)

日本のみならず、世界中の子どもたち、そして大人たちにたくさんの夢を届けた藤子(A)先生。心よりご冥福をお祈りいたします。