「父親に反発せず今も仲良くしていられるのは、母のおかげかな。あと、会えない時間もあったから、嫌なところは見ずにいい距離を保てていたのかもしれない」(理子さん)〈写真提供:東尾さん 以下すべて)
野球とゴルフ。それぞれプロの世界で活躍してきたスポーツマンであり、仲良し親子でもある元・西武ライオンズ投手の東尾修さんとプロゴルファーの東尾理子さん。幼少期の思い出から、俳優の石田純一さんと理子さんの結婚、義理の家族とのつきあいまで、一人娘と父は互いにどんな思いを抱えてきたのか。親子のリアルな距離について本音で語り合います。(構成=篠藤ゆり)

<前編よりつづく

昭和気質の父とアメリカ修業の娘

理子 夫の石田純一は夜の仕事も多く、外食も好き。確かに毎晩家族で一緒に食事をするような家庭じゃないけれど、そもそも私自身、父が家で夕食を食べる家庭で育っていなくて。そのおかげで、家族はこうあるべきとか、あまり形にこだわらずにすんでいるのかも。

 それはしょうがないよ、僕の仕事柄。野球の試合が終わるのは夜遅いから。

理子 そうね。でも、仕事だけじゃないでしょう。典型的な昭和の男というか、家庭よりも社交や遊びのほうが大事だったじゃない。(笑)

 僕も石田も、そんなふうに言われる世代なんだ。ライオンズの本拠地が福岡から埼玉に移ったとき、単身赴任になってね。理子は何歳だった?

理子 小学生になる前かな。

 そこから8年間ずっと家族を福岡に残して、僕は行ったり来たりで。

理子 行ったり行ったりでしょ。

 余計なことは言わないように。(笑)

理子 中学生になって母と私が上京して、父と暮らし始めたけれど、私はアメリカの大学に留学して、帰国後は一人暮らし。そのあとに34歳で結婚したので、私の46年の人生で、父と一緒に暮らしたのは、実質5、6年。その間も、あんまり帰ってこなかったものね。悪さも相当してたみたいだし。

 ふふふ。