小岩の多国籍化はどのように始まったのか

続いて小岩について紐解いていこう。

小岩の「ベットガット 南アジアアンテナショップ」で山谷さんが食した「カジャセット」 。山谷さん曰く「人生それなりに生きていたのに初めて食べる、例えようのない食べものだった」そう(写真:『移民時代の異国飯』より)

話は戦後間もなくにさかのぼる。太平洋戦争後に小岩ベニスマーケットという水上の闇市ができた。

小岩の中央通りは元々、小岩用水という用水路だったのだが、戦後間もない1946年に水上の闇市ができて、繁華街に成長したのだそうだ。後にその上に道ができて川は暗渠(あんきょ)となり、やがてその中央通りはそのまま飲食店街となる。飲食系の外国料理屋を確認すると、確かにこの通りかその近くに外国料理屋はある。

さて、グーグルで昔の記事に絞って検索すると、2005年頃にはタイマッサージの店「ワラポーン」ができたようで、マッサージを体験したブログやタイ料理を食べたブログがヒットする。

またフィリピンパブでフィリピン嬢と猥談をするための用語集が、このときSNS「ミクシィ」の小岩フィリピングループの中でできている。韓国街ではなんだか近寄りがたい雰囲気が出来上がっていたという。

小岩の2010年頃を紹介した記事が、webサイト「東京DEEP案内」と「デイリーポータルZ」にある。いずれも「なんだか多国籍化している」という噂話を聞きつけた上で、小岩を歩いてみたという記事だ。

これらの記事からは、当時は韓国料理、フィリピンパブ、タイマッサージ屋が多かったことが見て取れる。当初は小岩中央通りに集中していて、線路を挟んで北側に韓国系の飲食店が、南側にフィリピンパブがあり、小岩中央通りと駅を結ぶ地蔵通り沿いにタイマッサージ屋があったようだ。そして点々と中国の店もあることがうかがえる。