韓国、フィリピン、タイ、そして中国

韓国人街は今以上に濃厚な韓国そのものの雰囲気だった。しかも当時も小岩のコリアタウンは新大久保と違って全くオシャレではなく庶民的だった。

屋台と実店舗で足かけ30年小岩で営業している韓国おでん屋「マンナ」で、昔から住んでいるという高齢の医者にこの辺の話を聞くことがあった。

韓国おでん屋「マンナ」にて。(写真:『移民時代の異国飯』より)

「このビルも向かいも全部韓国の店だったよ。この辺の闇カジノとかが摘発されたことがあって、韓国の店がだいぶ減ったんだよ」

中央通りの線路北側に集中している韓国の店は昔ながらの生き残りだったのだ。同じく中央通り北側に1軒だけある異色のフィリピン料理店「ルートンピノイ」をやりくりするエリーさんは証言する。

「私30年日本なんです。最初金町で働いてその後小岩で仕事したんです。この店は昔は韓国パブだったんですよ。でも韓国人がいなくなっちゃった。それで大家さんがどうしようと困って私に声をかけてくれて、どうしようか迷ったけど借りたんです。フィリピンパブとして最初使って、その後フィリピンレストランにしたんです。フィリピンパブは昔は小岩にいっぱいありましたよ、でも少なくなったんです」

なるほど、韓国人街に1軒だけフィリピンパブの居抜きのようなフィリピンレストランがあるのも合点がいった。

「ここがもともとタイマッサージのところですよー。昔はここは食堂でした」

タイマッサージの「ワラポーン3」でマッサージをしながらタイ人のスタッフは教えてくれた。なんだか妙な居抜き感があるのはそのせいだった。都内でタイマッサージができる場所として小岩が知られるようになると、タイ人が続々と小岩駅周辺にマッサージ屋を構え、またタイ人労働者向けのレストランが何軒も湧くかのようにできていった。

やがて韓国料理店は全盛期よりも減り、またフィリピンパブもブームの沈静化とともに激減した。中央通り沿いで空きテナントが続々と出てくる中で、同胞がいるからとタイ料理屋「サイフォン」がパブの居抜きに入居し、中国料理屋もこの道沿いに続々と店を構えた。

サイフォンが店を閉じたと思ったら、その居抜きで「小城」が北側から南側に移動した。と同時に、中国人の資金力ゆえか、内装は場末のパブの居抜きから綺麗な焼き肉屋仕様へと変わっていった。他方では南インドの店や、ガーナのバーやイランのレストランまで入っていよいよ多国籍になっていった。

多国籍な街となるや、さらに多くの外国人を呼び、中央通り以外の小岩近辺でも、様々な国の店が増えていった。