思わぬ仏の功徳にあずかったような気が

しかし、私は自分の出家を、その後、一瞬たりとも後悔したことがない。

厳しいといわれる比叡山横川の2ヵ月の行生活も平気であったし、今尚、なつかしい思い出である。

「私は自分の出家を、その後、一瞬たりとも後悔したことがない」。(写真:本社写真部)

その後、仏から、小説を書きつづけることを許されて今に至っているが、70過ぎて、思いがけない文学賞やら、国の文化功労者までが舞いこんでくるようになり、思わぬ仏の功徳にあずかったような気がしている。

今では、法臘(ほうろう)25歳になった。

毎度、平均2年めごとに引越していたのに、出家してここ、嵯峨野の寂庵に庵をかまえてからは、何と4分の1世紀も引越していない。

その替り、仕事場を転々と替え、気分を一新している。引越せない時は、インテリアを一新して気分を替える。

居は気を移すというが、私は1つ所にいると、その土地の精気を全部吸いあげてしまったような気分になり、仕事の気力が萎えてくる。

そんな時、部屋の中の机の向きを替えたりするだけでも、気が動いて、気分が刷新される。すると頭の中に清新な空気が流れこんで、新しい発想が生れるような気分がして、活力が湧いてくる。