決断の連続に後悔なし

私は婚家を飛び出し、幼い娘と、世間的には申し分ない夫を捨てたということで、長い間、悪女のレッテルを張られて、故郷へは、陽のあるうちには帰ってくれるなと、亡父に言い渡されたが、後悔はしていない。

あの時、もし、それを決行しなければ、今の私はいないのだし、私の作品は生み出されてはいなかった。

一応世間に向っては、すべて私が悪かったのですと、言いもし、書いてもきたが、男女、まして夫婦の間などは、五分五分で、どっちかだけが悪いなどとはあり得ないというのが、77歳の私のいつわらざる見解である。

「あの時、もし、それを決行しなければ、今の私はいないのだし、私の作品は生み出されてはいなかった」。(写真提供:写真AC)

世間から申し分のない夫や、妻であっても、相手がそういう夫か妻を欲していなかった場合、相手にとっては悪夫、悪妻ということになる。そんな時は、さっさと別れて、自分の好さを好さと認めてくれる新しい相手を探した方がいいのである。

私は夫や子供を捨て、良妻賢母のレッテルを引きはがした時から、何ものにも替え難い自由を得た。

その自由を存分に行使して小説を書きつづけて、小説家ののれんをかかげてきたが、やがて、その自由が黴臭く思うようになって、息がつまりかけてきた。

その時、私はまた思い切って生活を変えた。出家得度したのである。

この決行は、私にとっては、着のみ着のまま、一銭も持たず、厳寒の2月に家を出た時より、心に軽く思っていたが、世間的には、流行女流作家の奇嬌な出家と映ったらしく、ジャーナリスティックに喧伝されて、自分の方で愕いてしまった。