十本の指は母からもらった宝物
今は私が高齢になり、息子に「一人で行くな」と言われます。でも、私が山菜やキノコ狩りが得意なことを地元の人は知ってるから、「おばあちゃん、山さ行くとき連れてって」と若い人に頼まれるんです。笹の葉を採りに行くときも孫が手伝ってくれます。だから心配ないです。
普段着ているセーターや帽子も自分で編みます。手仕事はみんな母に習ったんです。母はよく私にこう言いました。「十本の指は黄金の山」。この指さえ動かしていれば、お金に困ることはない。作れるものは何でも覚えておきなさい、と。笹餅を作るこの手は母からもらった宝物。大いに利用してます。
夫は製作所に勤めていましたが、病気がちであまり働けませんでした。大変だったのは夫が耳の手術で弘前の病院に入院したとき。夫は寂しがりやなんで、私は付き添いで看病しました。その頃、私は保育所に勤めてましたから、朝5時半の電車で弘前を出て、五所川原の駅で私鉄に乗り換えて……2ヵ月間、毎朝2時間以上かけて病院から保育所に通っていたんです。
退院後、夫には仕事をやめてもらいました。その頃は孫がまだ小学生でしたから、学校から帰ってきて、うちに誰もいねばだめだから、おじいちゃん、うちにいてちょうだい、体も養生してちょうだい、って。その後、夫は体を大事に過ごして、94歳まで生きました。
朝、仏壇にお膳をお供えするのが日課。月命日には、野菜を花の形にしたおかずなど5品を、1時間かけて心を込めて作ります。