3 万葉集
●大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)
「…… 我(あ)が泣く涙有間山雲居(くもゐ)たなびき雨に降りきや(巻3― 460)」
(……流す私の涙は有間山に雲となってかかり、雨となって降ったのでしょうか)新羅から単身渡来し帰化した理願(りがん)という尼が急病で亡くなった。大納言大伴安麻呂卿の館で数十年間世話をしていた石川命婦(みょうぶ・大伴坂上郎女の母)は病気保養のため、有馬温泉に出かけていて野辺送りに出ることができなかった。そこで、坂上郎女が葬送を済ませ、有馬に居る母親の石川命婦に長歌と反歌からなる挽歌を送った。前記はその長歌の一部である。
●作者不詳
「しなが鳥猪名野(ゐなの)を来れば有間山夕霧立ちぬ宿りはなくて(巻7― 1140)」
(しなが鳥猪名野をはるばるやって来ると有間山に夕霧が立ってきた。泊るべき所もないのに)
「しなが鳥」は猪名野の「猪名」に懸かる枕詞。