2021年12月、大分県別府市と九州大学の実証研究で、「温泉には特定の病気のリスクを下げる効果がある」と発表された。温泉入浴で腸内細菌が変化し、免疫力にいい影響を与えるというものだ。温泉の本質を知り、より効果的に入浴すれば、効果もUP!? 
また、旅に出られなくても、温泉の豆知識を得ることで、湯けむりに思を馳せ、癒しを感じることも…。消化器外科医・温泉療法専門医であり、海外も含め200カ所以上の温泉を巡ってきた著者が勧める、温泉の世界。安心して、どっぷりと浸かってみてください。
※本記事は『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(佐々木政一、中央新書ラクレ)の解説を再構成しています

前回「『武田信玄公隠し湯』として伝説が残る温泉は? 戦の武士を癒した名湯。下部(しもべ) 温泉(山梨県南巨摩郡身延町)」はこちら

上杉謙信・謙信の隠し湯
生地(いくじ) 温泉(富山県黒部市生地)他

武田信玄の永遠のライバル・上杉謙信にも「謙信の隠し湯」がある。

戦国武将の中でも、最高の統率力を持つ戦術家といわれる上杉謙信による発見伝説が残るのが、富山県黒部市の生地温泉である。

謙信(この時はまだ長尾景虎)が北陸の情勢を探るため(父の仇討ちとの説もある)、僧侶姿に身を変えて黒部川を越え越湖(えっこ)(現黒部市生地)に至った時、重病に陥った。家臣たちは村人から新治(にいはる)神社が霊験あらたかと聞き、早速神殿に詣で拝伏して謙信の病気快癒を祈願した。すると、その夜白髪の老人が謙信の枕元に現れ、

「明朝卯の刻に外に出て、白鳩に従って行き、白鳩が杖の上に止まった時、その杖で地中を打てば清水が湧出する。その清水は霊水だから、それで入浴すれば必ず病気は治るだろう」と言い終わるとたちまち姿を消した。

謙信は不思議に思いながら翌朝外に出てみると、白鳩が現れ、霊夢の通り杖で地中を打ったところに霊水が湧き出た。謙信は老人の教えの通り、この霊水に入浴し、何カ月か滞在しているうちに病(脚気?)は完全に治癒したという。謙信は大変喜び、新治神社へ御礼参りをするとともに、その霊泉地に自らの手で松を植え立ち去った。今では「謙信手植えの松」として樹高25メートル、樹幹周囲6メートルの大木に育っている。

その後、永禄3年(1560)に真言宗の一乗上人がこの地に来て、霊泉の効能が高いと聞き、「謙信手植えの松」の下に庚申仏の堂を建て、村人・文佐に命じて浴場を開設した。しかし、天保年間(1830~1844)に地籍論争が起こり、廃絶に至った。

明治44年になり、初代・田中菊次郎が庚申仏のお告げによって浴場を再建し、「生地鉱泉」と命名。昭和40年には「生地温泉たなかや」と改称し、現在に至っている。