もう1度、歌うことが、母への最大の親孝行に

中江 今回のアルバムをリリースする前に、オリジナル曲と玉置浩二さんやCHAGEさんが歌われている男性ボーカルの曲を、私がカバーしたミニアルバム『Porte de Voix -ポールドヴォア-』も、松井さんにプロデュースしていただきました。

松井 どの曲も僕が歌詞を書いたものですが、これまで男性の声で歌われていた曲を、中江さんがどんなふうに歌ってくれるのか、僕自身も興味があったんですよ。

中江 実質的には、このアルバムが私にとって28年ぶりのニューアルバム。実は、こうして歌手活動を再開したのは、私が歌うことを母がすごく喜んでくれたというのも大きな理由でした。母は、若い頃に歌手になりたかったというほど、歌が大好き。「今度、松井さんのトークイベントで、久しぶりに歌うんだ」という話をしたときも、「もう1度、あなたが歌っている姿が見たい」と。その言葉に背中を押されたんですよ。

松井 確か、『Porte de Voix』のレコーディングを始める1年ほど前に、お母様の病気がわかったんでしたね。

中江 病と闘っていた母に、私の歌が少しでも力になれば、と。私が歌うことで母を励ますことができるんじゃないかって。そんな私の思いを汲んで、松井さんが作詞をしてくださった「いつも」という曲を、母に聞いてもらうことができたのもありがたかったです。

松井 お母様、初のライブにも来てくださいましたよね。

中江 ええ、大阪の実家から東京まで来てくれて。結局、それが母にとっては最後の遠出になりました。それまでは体調がすぐれなかったのに、ライブの翌日に会ったとき、「生の歌を聞いたら、すごく元気になった」と、明るい笑顔を見せてくれた。あらためて「歌って、よかった」と思いました。

松井 歌を再開したことが最高の親孝行になりましたね。

中江 本当に、間に合ってよかった。母は、ライブから約半年後に亡くなりました。出棺のときも、私が歌った「名前のない海」を流して送り出したんです。母もきっと喜んでくれたんじゃないかなぁ……。最後にこんな親孝行ができたのも、松井さんと再会したおかげだと感謝しています。

中江さんとお母様とのツーショット(写真提供:中江有里さん)