中江 40代半ばを過ぎた今の自分が表現できるものは何なのか? 松井さんと一緒に音楽をつくりあげていく活動が、私が小説を書くときにも大いに刺激になっています。そういえば、2019年に出版した『トランスファー』がこの夏に文庫化されるのですが、文庫版のタイトルを『わたしたちの秘密』に改題したのも、松井さんが作詞してくださった「わたしのような誰か」にインスパイアされたから。今回のニューアルバムに収録した曲ですが、私がこの小説で表現したい世界観にピッタリで。このタイトルをそのままつけたかったほど。(笑)

松井 『わたしたちの秘密』は、同じ母親から生まれた姉妹が入れ替わってしまう話ですよね。女性ならではの温度感や皮膚感覚がリアルに伝わってきて、僕が女性歌手の歌詞を書くときに、参考にさせてもらおうかなと思いましたよ。

『わたしたちの秘密』(著:中江有里/ 中央公論新社)

中江 ありがとうございます。そもそも、『わたしたちの秘密』は太宰治の『走れメロス』に触発されて書いた小説です。自分の身代わりで捕らわれの身となった友人の命を救うために、メロスはひた走る。でも、戻ったら、今度は自分が死刑になってしまうわけでしょう。そんな状況に置かれたとき、私だったらどうするだろう?と、ずっと考えていて。そんなふうに、私は「もしかして、あの人が自分だったかもしれない」と考えることが多くて、それが小説を書くときのひとつのモチベーションになっている。そんな思いを形にしてみようと考えたとき、「入れ替わり」という話が自分の中から生まれてきたんですよ。

松井 音楽だけじゃなく、そのうち、中江さんと一緒にドラマをつくったり、短編小説と歌をリンクさせたライブもやってみたい。僕は舞台の演出もやっているので、朗読劇などもやりたいな。

中江 小説は自分一人で紡いでいく世界ですけど、歌はつくり手の世界観を自分がどう表現するかにかかっています。言わば総合芸術。様々な組み合わせから成る想定外の楽しみがある。自分一人では決して作り出せない世界を、これからも松井さんと一緒に生み出していけたら素敵だなと思っています。

自分一人では決して作り出せない世界を一緒に(撮影:初沢亜利)

わたしたちの秘密
(著:中江有里/ 中央公論新社)7月21日発売

村山由佳氏、おすすめ!
「作家・中江有里の真摯な声が聞こえてくる。
人生からは逃げられない、けれど人は変われる、と」

30歳の大倉玉青は、人材派遣会社に登録し大手通信系企業の受付として働いている。大学時代は、演劇サークルに所属していた。愛読書の『走れメロス』をバッグに放り込み、苦行のような満員電車に乗り職場へ通うのは、ただ生活のためだけだ。その生活が空虚で、何のために生きているのかわからない。彼女は、5年前の自らの選択が生んだ「秘密」を抱え、それに関わる者の存在を「希望」と感じながら、ただ日々を過ごしていた。 そんなある日、劇的な邂逅から生活が急転。玉青は思う。この出会いを、わたしは信じていいのだろうか――。 女優・作家・歌手として多彩な才能を見せる著者が、二人の女性の交錯を軸に現代的テーマに迫った、温かでミステリアスな物語。 『トランスファー』改題。

〈巻末対談〉松井五郎(作詞家)×中江有里 
「歌手活動の再開は、この小説がきっかけだった」