歴史はこう動いた! 北条泰時のもとで武家の力が強大化

承久の乱の結果、後鳥羽・土御門(つちみかど)・順徳(じゅんとく)の3上皇がそれぞれ隠岐・土佐・佐渡に配流、仲恭(ちゅうきょう)天皇は廃位された。

代わって後鳥羽の異母兄の後高倉院(ごたかくらいん)が治天の君となり、その子・後堀河(ごほりかわ)天皇が即位する。

上皇を配流し、皇位継承に大きな影響力を及ぼすほど、武家の力は強大化したのである。

京には朝廷の監視や洛中の治安維持、西国御家人の訴訟裁決を行う六波羅探題(ろくはらたんだい)が置かれ、北条一門があてられた。

さらに、敗れた京方の公家・武士の所領3000余か所が幕府の御家人に与えられた。京方の所領は西国に多かったため、鎌倉幕府の影響力は西日本に及び、名実ともに全国政権へと脱皮することとなった。