世を去るに当たっての最大の礼儀とは

老眼がかかると、別の意味で、字が見えなくて困ると嘆いている人もいる。同じようなタッパーに入れたおかずの区別がわからなくなるのだそうだ。

飛行機のタラップを降りる20代後半の曽野さん。前が夫・三浦朱門さん。1960年8月撮影(写真:本社写真部)

私は同類で分類する方法を厳重に守るようにした。お茶の類は、ポットと一緒に、同じ棚に入れる。味の違う紅茶類、ハーブティーの類、コーヒーは挽いた粉もインスタントも、とにかく同じ棚に入れておけば、探す手間がかからない。

我が家の朝食は気ままなものだ。パンにジャム、バター、チーズ、ソーセージなどを食べる日もあれば、残りのご飯を始末してしまうためにお粥にする時もある。そういう日には、佃煮の海苔、雲丹(うに)、古漬け、わさび漬け、などお粥向きのおかずが欲しい。

私はパンの日に要るものと、お粥を食べる日に欲しいものとを、それぞれ別のプラスチック・ケースに入れて、冷蔵庫にしまうことにした。

今日はお粥と決めれば、お粥用のプラスチック・ケースを引きずり出せばいいのである。そうしておけば、「昆布の佃煮がどこかにあったはずよ」などと腹立たしく思いながら探しまわらなくて済む。

私は買って来た品物の整理は、すべて当日にすることにした。

もちろん建前と現実は常に少しずつずれることはある。衣類の始末は、一週間も引き延ばす。服は腐らないからいいのだ、と私は言い訳を用意している。どんな時でも律儀にすることは、洗濯と、食材の始末で、決して翌日に延ばさない。

とにかく残り物の野菜はスープに煮ておけば、明日、おいしく食べられる。豚肉は明日までほうっておいて味を悪くするよりは、素早く甘口のお味噌につけておけば、数日間は、いつでもおかずの出番として安心しておいておける。

いつのまにか我が家の冷蔵庫はいつでも片づいているようになった。

ドアを開けると、中のものが落ちてくるような家もあるというが、我が家の冷蔵庫はたいていがらがらで、奥の壁が見えている。私は戦争中の貧しい暮らしを知っている世代だから、戦後間もなくだったら、こういう冷蔵庫を他人に見られたら「お宅は貧しいのね」と言われるところだと思う。

私は今、ものを捨てることにも情熱がある。

亡くなった母は、死後、寝間着代わりの浴衣とウールの着物が数枚、私が「他人にあげちゃだめよ」と言っておいた紬つむぎ二枚(これは自分が着るつもりだった)、帯が一、二本、病院へ行く時のための草履をたった一足だけしか残さなかった。

ましなものは早々と姪や他人にあげてしまっていたからである。私は母の遺品の始末をするのに、文字通り半日しかかからなかった。それは人が世を去るに当たっての最大の礼儀のように私には思えた。