「笑いを取ることは実に気持ちがいいです。でも、今度は受けなかったらどうしよう、っていう怖さがある。」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続けるスターたち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第6回は俳優の伊東四朗さん。伊東さんの喜劇役者への第一歩は、中学生の頃に出た『猿蟹合戦』の劇で、笑いを取る快感を知ったことだそうで――。(撮影:岡本隆史)

たしかに喜劇は難しい

自らを「喜劇役者」と位置づけている伊東四朗さんだが、喜劇を演じるのは最も難しいことだと思う。当てこんだり、わざとらしかったり、人間としての中身が薄かったり、何より品がなかったりしたら、お客は絶対に笑わない。笑うということは、その役者に寄せる観客の好意の表れなのだから。

――わかってくださってありがたいです。たしかに喜劇は難しい。一日一日違うんですよ。お客さんが変わると、受け場も受け方も変わりますしね。まず最初に出た役者がその舞台の雰囲気作りをしなきゃいけない。喜劇っていうのはそういうところが一番大事かなと思う。何十年もやってきてやっとわかったことですけどね。

笑いを取ることは実に気持ちがいいです。でも、今度は受けなかったらどうしよう、っていう怖さがある。昨日まで受けてたところが今日はまったく一人も笑わない、ってときがあるんですよ。これは相手役との間のタイミングがちょっとずれたりすると、もう受けなくなるんですね。だから難しい。

 

伊東さんが笑いを取る快感を初めて知ったときが喜劇役者への道につながる第一の転機だと思うけれど、それはかなり幼少のころの舞台の体験だろうか。

――上の兄貴が素人劇団をやってて、小学4年のときに浮浪児の役で出たことがありました。親父は男ものの洋服屋でしたから仕立ての裁ち屑がいっぱいある。それをあちこちに縫いつけてボロ服の衣装作ってね。でもこのときは恥ずかしくて、横ばっかり向いてました。

中学に入ると英語劇に出て、1年のときは『浦島太郎』、2年のときは『猿蟹合戦』の猿の役。最後に猿が木から落っこちて幕になるんですが、木の上で咄嗟に思いついてわざとギリギリ前のほうへ落ち、後ろにスッと幕が閉まった。それで頭をかいて困った顔をしてみせたら大笑いになって、笑いを取る快感をここで知ることになりました。第一の転機ですね。