そのころ、伊東さんの目に映った渥美清さんや、のちに「てんぷくトリオ」のコント作家として関わることになる井上ひさしさんの印象は?

――渥美さんは、日本で最初に山下清を、あの「裸の大将」を舞台で演じた人、と認識してます。「ぼぼ、ぼくはね」ってやってましたね。

後に渥美さんは浅草を去って、有楽町の日劇に行ったんですけど、これは喜劇人のエリートコースなんですよ。そのころ私は浅草に出るようになって、ある日渥美さんが楽屋へ遊びに来た。暖簾わけてあの顔を出して、「均ちゃん、やってる?」なんて例の調子でね。

で、私とパッと目が合ったら、「新人かい? おっかしな顔してるねぇ」って。一瞬、あなたには言われたくない、って思いましたよ、言いませんでしたけどね(笑)。それが私、21歳のときで、日劇に出たのが25歳ですね。

先代林家三平さんにコントの相手を頼まれて、そのころ「ぐうたらトリオ」だったわれわれ、三波伸介と戸塚睦夫と私が出たわけです。それからじきに「てんぷくトリオ」に改名。当時人気のあった「脱線トリオ」(由利徹・八波むと志・南利明)の次だから転覆だ、って東宝さんが付けてくれた名前です。

それで井上ひさしさん。『九ちゃん!』っていうバラエティ番組にコントの部分があって、てんぷくトリオの座付作者にと頼んだのが間違いでした。冗談です(笑)。あんなに筆の遅い人とは思わなかった。

毎回、生でやるんですけど台本が来ない。三人で冷や汗かきながらいろいろ考えてるところにようやく届いて、三人で一つの原稿を2回ほど読んで、バーッと出ちゃう。

井上さんに『てんぷくトリオのコント』っていう本がありますけど、あれ、われわれの工夫もかなり入ってますよ。

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