2022年7月26日(火)、99歳で亡くなられた瀬戸内寂聴さんのお別れの会が、東京・帝国ホテルにて行われました。林真理子さん、江國香織さんなど、親交のあった方の挨拶が続く中、秘書の瀬尾まなほさんは、新型コロナウイルスの濃厚接触者となり、参加は叶わず。司会の有働由美子アナウンサーがメッセージを代読しました。秘書として晩年の寂聴さんを側で支えた瀬尾さんが、瀬戸内さんのご逝去から3ヵ月経ち、インタビューに答えた『婦人公論』2022年3月号の記事を再配信します。


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先日99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さん。その秘書を務めてきた瀬尾まなほさんは、誰よりも近くで寂聴さんを見つめ続けてきました。このたび、まなほさんが寂庵での日々のエピソードを記した連載が『寂聴さんに教わったこと』という一冊にまとまり、刊行されました。一緒に過ごした10年の年月を振り返り、今まなほさんが感じることとは。
(構成◎山田真理 撮影◎霜越春樹)

死が決してネガティブなイメージではない

作家・瀬戸内寂聴が亡くなり、3ヵ月が経とうとしています。ずっと「先生」と呼んできたので、ここでもそう呼ばせてください。23歳で秘書になって10年、先生とこれほど長く会わなかったことがないので、今とても不思議な気持ちです。頭では亡くなったと理解していても、心がついていっていない状態でしょうか。

でも自分が以前に想像していたように、悲しみに暮れて泣いて泣いて――という毎日ではないんですね。会えないのは確かに寂しいけれど、先生のことを考えると心がぽっと温かくなる。死が決してネガティブなイメージではないのです。それは瀬戸内寂聴という人が、99年の人生を自分らしく思うままに「生き切った」姿をずっと間近に見てきたからかもしれません。

先生が後々まで笑い話にしたように、私は寂庵で働くまで先生を「尼さん」としか知らず、作品を読んだこともありませんでした。

秘書という役割は与えられたものの、何が正解かわからず、手探りの日々。先生は手取り足取り教えるタイプではなく、時々「まなほなんてクビだ!」と笑って脅かしながら、基本的に私のやり方に任せてくれました。そしていつも私を人前で褒めてくれた。それが嬉しくて、もっともっと頑張ろうと思えたものでした。

その一つが、「書く」ということ。小さい頃から私は自分の気持ちをノートに書いたり、手紙にするのが好きでした。先生にも伝えたいことを手紙で渡したら、「いきいきして素直な文章だ」と褒めてくれたんです。それを知った新聞社の方から、「寂庵での日々のエピソードを月に一度書いてみませんか」と依頼された連載をまとめたのが、本書『寂聴さんに教わったこと』です。