2021年12月、大分県別府市と九州大学の実証研究で、「温泉には特定の病気のリスクを下げる効果がある」と発表された。温泉入浴で腸内細菌が変化し、免疫力にいい影響を与えるというものだ。温泉の本質を知り、より効果的に入浴すれば、効果もUP!? 
また、旅に出られなくても、温泉の豆知識を得ることで、湯けむりに思を馳せ、癒しを感じることも…。消化器外科医・温泉療法専門医であり、海外も含め200カ所以上の温泉を巡ってきた著者が勧める、温泉の世界。安心して、どっぷりと浸かってみてください。
※本記事は『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(佐々木政一、中央新書ラクレ)の解説を再構成しています

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源義家が入浴した
つなぎ温泉(岩手県盛岡市つなぎ)/母畑温泉(福島県石川郡石川町)

岩手県のつなぎ温泉の名称は11世紀に源(八幡太郎)義家が孔(あな)の空いた石に愛馬を繋いで、温泉に入浴したことに由来する。

陸奥国の土豪であった安倍貞任(あべのさだとう)が奥6郡に柵を築き、半独立国として陸奥守藤原登任(ふじわらのなりとう)と対立していた。朝廷から源頼義・義家父子が派遣され、鎮圧に向かった。永承6年(1051)から康平5年(1062)までの「前九年の役」である。

義家は父・頼義とともに安倍貞任を攻めたが、逆に押し戻され本陣のある「湯ノ館山」まで退いた。その時、義家は山の麓から白い煙が立ち上っているのを見て不思議に思い、近くまで行くと滔々と湯が湧き出ていた。この湯で愛馬の傷を洗ったところ、傷がたちまち癒え元気になった。そこで自分も入浴して「卓効に驚嘆せり」と言い、傷ついた家臣たちをその湯に入れ軍勢を立て直した。再び安倍氏を攻め立て、厨川柵(くりやがわのさく)における最後の抵抗も空しく、陸奥の名門・安倍氏は滅亡し、この戦いで「前九年の役」は収束した。

義家が入浴時に愛馬を繋いだのが高さ1・1メートル、幅1・6メートルの孔の空いた「つなぎ石」で、以来この湯は「つなぎ温泉」と呼ばれ、地名にも「繋(つなぎ)」が使われるようになった。

源義家が愛馬を繋いだ孔のある「つなぎ石」