天童 ルミ子さんとはいい加減な話はできません。「どうしてそうなったの?」と、刑事みたいに鋭く追及されるから(笑)。でも「じゃあこうしてみたら?」とアドバイスされると、「ああ、そうか!」と素直に聞ける自分がいるんですよ。
小柳 私、いろいろ聞いてしまうけど、それは状況が良くなってほしいと思う一心なのよ。
天童 食事に行くと、ゆうに4~5時間は話します。以前、大阪での番組の終わりに「久しぶりの大阪だし、お好み焼きを食べましょうよ」と誘ってくださったときも、盛り上がりましたね。二人ともお酒は飲まないから、温かいお茶を片手に。(笑)
小柳 お好み焼きを何種類も頼んで、別室のスタッフさんたちにも振る舞ってね。楽しかった。
言葉を交わした日を今も忘れない
天童 ルミ子さんとの出会いは、20年以上前。NHK-BSで始まった『BS日本のうた』での共演でした。私、ルミ子さんが着ていたドレスを覚えてますよ。白くて、ボディ部分がレースで。スッと腰を折る所作がカッコよくて、「全然贅肉ないやん!」って見とれてました。
小柳 自分の衣装のことは忘れちゃったけど、声をかけたときのことは覚えているわ。「良かったね!」が第一声。当時、歌唱力抜群のよしみちゃんが世に出てこないのはおかしいとずっと思っていたから。「ヒット曲に恵まれて本当に良かったね。これから頑張って!」と言った記憶があります。
天童 そうでしたね。ルミ子さんは「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など、早くからヒット曲を世に送り出していて、ものすごくまぶしい存在でした。私はといえば、デビューはしたもののチャンスをつかめず、低迷する時期が続いて。一度大阪に戻り、その後1985年に「道頓堀人情」という曲をいただいたことで運命が動いて、再度東京に出てきたんです。
そんな私がテレビの仕事でルミ子さんとお会いできたわけですから、どんなに嬉しかったか。しかもルミ子さんは私の下積みの経緯を知っていらした。「見ていてくださったんだ!」と感激しました。