創業1978年、宮崎最南端串間市にてピンクグァバを栽培している宮崎果汁。芳醇な香りと味わいを両立させ、ドリンクにする手法を確立するまで並大抵のことではなかったという。その二代目・大迫成長氏に今に至るまでのストーリーを聞きました。(撮影◎延 秀隆)
――まず御社の歴史とグァバを植樹し始めた経緯をお教え下さい。
宮崎県最南端かつ、年中黒潮(暖流)の海風が吹き込み、霜がほとんど降りないという好条件が重なった「恋ヶ浦」に宮崎果汁はあります。
「恋ヶ浦」は全国屈指のサーフスポットです。年中安定して波が高く、サーファー憧れの場所です。
1976年に、町でグァバを宮崎の特産物にしようという働きがありました。
もともと父(会長)は農業をやっていまして、その流れで500本の苗で栽培をスタート。宮崎は暖かいから亜熱帯の植物も育つだろうという、ざっくりした感じで栽培をしていたためか、同時期にスタートした他の農家も含め、ほとんどの苗が冬を越せなくて枯れてしまったんです。
当時父がビニールハウスでキュウリなどを栽培しており、空いていたスペースに6本だけ植樹した苗だけが、霜と寒さの影響を受けずに生き残った。
奇跡の6本でした。