自分と同じような立場の子を思うと胸が痛い
私が「公共」で「無料」のものに救われたのは、図書館だけではない。
行政が主催するイベントだ。
私も例に漏れず、文化的体験をする機会は本当に少なかった。
しかし、いまでも忘れられないのが、母が連れて行ってくれた無料の天体観測のイベントだ。
天体望遠鏡で覗いた星座はあまりに美しく、はじめてみた土星の輝きには心を奪われた。
これをキッカケに図書館で星座の図鑑を読むようになり、自由研究のテーマも星についてになった。
思い出という思い出が乏しいなか、こういう体験は本当に貴重なのだ。
夏休みなどの長期休暇は、各家庭に過ごし方がまかせられる分、普段からある格差が顕在化しやすく、広がりやすい。
そしてそんな格差は見過ごされやすい。
お金がある家庭の子たちは夏期講習などに行き、空調の効いた部屋で勉強に勤しむ。
旅行に行き、遠出をして、色んな思い出を作る。
一方貧困家庭の子たちは学習環境もない家で過ごす。
中には食事だって十分にとれないことだってある。
大人になり、都会に出てくると、NPOなどのいろんな支援団体が、貧困や教育格差を解決するために様々な取り組みをしていることに驚いた。
学習ボランティアがいたり、子ども食堂があったり、無料でPCを貸し出してくれたり。
一方で、そういった団体が皆無で、どんな支援も届かないであろう過疎地の地元を思い出す。
今でも第二の自分のような子が、自分と同じような夏休みを過ごしているかもしれない。
そう思うととても胸が痛いのである。