酒井 おこづかいの額も話し合いでお決めになられたそうですね。

彬子女王 毎月予算を立て、計画書を提出しておこづかいをいただくのですが、わたくしはおこづかいを10円単位まで使い切ることに情熱を燃やしていたのですね。あるとき父におこづかい帳を見せたところ、いつものくだけた口調で「なんだカツカツじゃねぇか。こういうのは親をだまくらかして多めにもらっとくもんだ」と教えていただきました。(笑)

酒井 お父さまが亡くなられてからは、彬子さまが宮家のお仕事を引き継がれましたが、そのときにプレッシャーをお感じにはならなかったでしょうか。

彬子女王 お元気な頃からご活動に同行して父のお言葉などを聞いてまいりましたので、父がお隠れになった後もさほど違和感はなかったと思います。ただ、今となっては笑い話なのですが、宮様スキー大会でご挨拶される予定だった父が咳き込まれて読めなくなり、わたくしが急きょ代読したことがありました。

ところがその原稿が、オリンピックで日本選手団がいかに不甲斐なかったか、どこがダメだったかという内容で(笑)。読みながら顔がすーっと蒼ざめるのを感じました。こうした経験も踏まえ、自分で言葉を発するときは、父がしていらっしゃったことは心の芯に置きつつ、わたくしの目線で見て、感じたことをお伝えするように心がけております。

酒井 今後、彬子さまご自身が挑戦なさってみたいことは、どのようなことでしょうか。

彬子女王 とても大きな目標でいえば、「心游舎」の幼稚園を作りたいですね。子どもの頃に体験したことが記憶の種となって、いつか芽吹いてくれたら嬉しい。そんな種まきの作業を続けていけたらと願っております。

酒井 ぜひ実現なさってください。本日は貴重なお話をありがとうございました。