「病気もしたけど、この年齢で歌えることは、ありがたいこと」と加山さん

いま自分がここにいられるわけ

俳優、シンガーソングライター、画家などとしてマルチな才能を発揮し、映画の「若大将」シリーズなどでも活躍。しかし、いくつかの不運にもぶつかる。なかでも大きな試練が、1970年のパシフィックホテル茅ヶ崎の倒産だ。父(俳優・上原謙さん)と叔父が出資者だったが、加山さんも会社に名前を連ねていたため、23億円の借金をかぶることに。10年かけて全額返済した。

――時代は移り変わるものだから、浮き沈みはあるけれど、とにかくこの年齢になっても元気でいられるのは、周囲のみんなのおかげだと思いますね。

倒産騒動が起きたのは、結婚した年です。カミさんは僕より10歳下で、映画の共演で知り合った頃は、まだ17歳だった。5年くらいしてから結婚しましたが、いきなりどん底に。返済が間に合わなくて、出資者に土下座して謝ったりもしました。

そんな僕をずっと支えてくれたカミさんには、本当に頭が上がりません。これほど、心配をかけた相手はいませんから。

今回の病気でもしも倒れてそのまま意識を失っていたら、どうなっていたかわかりません。119番通報したのも、カミさんだった。リハビリ中も、おっくうがる僕を厳しく叱咤激励してくれて。彼女がいなかったらいまの僕はないんです。

芯が強いというのかな。彼女は早くにお父さんを亡くして、15歳で芸能界に入って家族を支えてきた。結婚後は、子ども4人を産んでいい子に育てあげてくれました。連れ添ったカミさんに感謝を言えることが、いまうれしいと思えますね。近年の体調の変化もあって、住み慣れた自宅から、自立型ケア付き住宅に引っ越しました。

仕事では、若いスタッフからもエネルギーをもらっています。30代、40代の若者が、こんな84歳のじじぃとつきあってくれるのがうれしいんだ。コンピュータのAI(人工知能)を駆使して僕の未発表曲をアレンジしたり、YouTube チャンネル「バーチャル若大将」などを配信したり。

初めての試みだけど、僕も「じゃあやってみよう!」という気持ちになりますから。彼らにしてみれば、年寄りになったらどんなふうになるのか、僕を身近で見て学んでいるのかもしれないね。(笑)

こうして世代を超えて人とつながれるのは、音楽のおかげ。音楽には国境がない。年齢差もない。たぶん太古の昔から、言葉以前に音楽があったと僕は思っています。

音楽のおかげで、ペリー・コモさんみたいな超大物アーティストとも個人的につきあうことができたんですよ。来日中、熱海まで船で迎えに行って、一緒に釣りをしたこともあるし。キスが釣れたので僕がフライにしてあげたら、「おいしい!」と喜んでくれた。フロリダの家に招待された時は、お返しに彼の船に乗せてもらって、釣りを楽しみました。