「穏やか」という最大の徳
「見慣れない機器を使用しているのが気に食わない」気持ちが「電車内でスマホを使うな!」となり、「自分が座りたい」気持ちが「優先席に若者が座るなんてけしからん!」へと転化する訳です。
しかし、なぜ道徳を声高に叫ぶ人たちは大抵怒りを伴うのでしょうか。ローマ帝国の哲学者セネカは「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である」と定義します。「他者が正しくないことを行っている」という気持ちが、我々に怒りを生じさせるわけです。
しかしセネカは、不正に対して怒りで応えることは薄汚く狭量な心に属する「心の過ち」であり、「他者の過ち」に対して「怒りという過ち」で正すことはできないとします。
セネカは怒りに対する最良の対処法として「遅延」を挙げます。怒りの頂点にある人を言葉で鎮めようとしても火に油を注ぐだけであり、激情は時の経過とともに収まっていくため、怒りが緩和した頃を見計らって穏やかに接するのが良いとするのです。
ただ、我々が電車内に乗り合わせる時間はさほど長くはありません。乗車中にご老人の怒りが鎮まらない場合もあると思います。そんな時は「いちばん怒りっぽいのは幼児と老人と病人である。およそ、ひ弱な者は本性上、愚痴っぽい」というセネカの言葉を思い出し、「穏やか」という最大の徳を忘れずにやり過ごしましょう。
BC4年頃ローマ生まれ。文人。哲学者。幼少期から修辞学と哲学を学んだ。政権争いに巻き込まれた波乱万丈な人生の中で、このとき学んだストア哲学が彼の心の支えとなった。生涯を通して、カリギュラ帝、クラウディウス帝、ネロー帝と3人の皇帝に仕えた。
1947年東京生まれ。生物学者。評論家。早稲田大学名誉教授を務める。構造主義生物学の観点から、現代社会に生きる人間の心理への批評を多く扱うとともに、生物学の分野でも数々の著書がある。カミキリムシの収集家でもある。
※本稿は、『半径3メートルの倫理』(産業編集センター)の一部を再編集したものです。
『半径3メートルの倫理』(著:オギリマサホ/産業編集センター)
「上司の発言がコロコロ変わる」
「他人の行動にイラついてしまう…」
「一線を越えるの""一線""って?」etc...
私たちの身のまわり=半径3メートルくらいの中にあふれる些細なモヤモヤを、著名な哲学者たちの言葉や知恵を借りて楽しく解決する倫理学エッセイです。
お悩み内容&回答者(一部)
◎彼氏が焼きもち焼きで困っている。→J.S.ミル
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