戦争の犠牲者はいつも市民

映画の中で、南部ホーチミン市にある産婦人科病院「ツーヅー病院」が紹介される。病院内にある「平和村」では、枯葉剤の被害を受けた子どもたちが共同生活を営みながらリハビリを受けている。彼らの多くは明るく、笑顔で助け合い、大人になって仕事で活躍する人もいる。一方、ツーヅー病院では、現在も妊娠中に出生前診断を受け、結果、人工妊娠中絶を決める親も少なくない。

――第2作『沈黙の春を生きて』(11年)に登場した米帰還兵の娘ヘザー・バウザーさんは、先天性の手足欠損障害を持って生まれてきました。それでも彼女は、障害に負けず自分の人生を切り開き、のちにベトナムにも渡ってアメリカとの架け橋となり、ベトナム国内の被害者とも交流を持っています。

そんな彼女がツーヅー病院を訪れた際、胎児堕胎の事実を知り、「では、(ここでは)私たちのような子たちは生まれてこなかったということですね」と話したのがとても印象的でした。医師によると実際には無脳症など重度の子たちが対象となっているようでしたが。

私は10年に「希望の種」という奨学金制度を設立し、仲間たちと運営しています。枯葉剤被害者の子やそのきょうだいたちが学校に通うための支援をしているのです。集まった寄付は1000万円以上。100人以上の子どもたちが、上の学校に通えるようになりました。できることは限られているけれど、出会った人たちのために少しでも何かできたら、と考えています。

しかし、枯葉剤の影響が広く世界に知られるようになった今も、アメリカは枯葉剤による人的被害の補償責任を負おうとしません。枯葉剤を製造したアメリカの大企業も然りです。このようなことは世界中で起こりうることです。現在も、ウクライナをはじめ、世界ではさまざまな争いが行われています。その恐ろしい行為が、今後どのような結末をもたらすのか――それは、誰にもわかりません。一つ言えることは、戦争を始めるのは、いつも国であるということ。そして、犠牲になるのは、いつも市民なのです。