まったくの素人からの映画撮影

夫の死因を解明し、自身の空白を埋めるためにも、坂田さんは枯葉剤について知る旅に出る。夫の故郷アメリカで映像製作の基礎を学ぶと、買い揃えた機材を抱えてベトナムに渡り、手探りで被害者家族に取材。デビュー作『花はどこへいった』(08年)は毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞ほか国内外の数々の賞を受賞する。

――まったくの素人がよくやったなぁと自分でも思います。映画を撮りたいと言っても、方法も何も知らなかったんですからね。ただ、アメリカに夫の遺灰を撒きに行った際、たまたまドキュメンタリーを作るワークショップが近くで開かれていたんです。導かれるように訪ねていきました。

初日に、全員が受講理由を尋ねられるのですが、「夫の死に枯葉剤の影響があるかもしれない。そのことを映画にしたい」と言ったら、講師がとても興味を持って話を聞いてくれて。ぜひ撮ってみるといいと、ビデオカメラの扱いや映像編集の方法を一通り教えてもらい、2週間で3本ほど映像を作りました。その時の講師の真剣な眼差しに後押しされて、なんとかやってみようと思えたんです。

「夫の死に枯葉剤の影響があるかもしれない。そのことを映画にしたい」その一心で素人から映画監督に。坂田雅子さん(写真提供:坂田さん)

ベトナムに渡ったのは04年夏。事前に夫の友人のカメラマンが、ベトナム外務省に交渉をして、被害者家族への取材を設定してくれました。当時はベトナム政府も枯葉剤の被害を国外に向けて発信しようという時期で、運よく取材のアレンジはスムーズに行きました。おかげで、ベトナムの北から南まで、さまざまな地域の村へ、被害者家族を訪ねていくことができたのです。でも、その実態は想像を超えたものでした。