「19年の月日が流れても、夫を失った寂しさが癒えることはありません。それでも、その悲しさが、新しい道を切り拓いてくれました。」(撮影:大河内禎)
〈9月15日発売の『婦人公論』10月号から記事を先出し!〉
ベトナム戦争終結から約半世紀。今もなお枯葉剤の影響に苦しむ人が世界中にいる。ベトナム帰還兵だった夫の死をきっかけに、ドキュメンタリー映画の製作に挑んだ坂田雅子さん。戦争が世代を超えてもたらす悲しみに寄り添い続けた20年のなかで、彼女の人生はどう変わっていったのか。(構成=玉居子泰子 撮影=大河内禎)

藁にもすがる思いで映画製作を決めた

フォトジャーナリストだった夫のグレッグ・デイビスが体調を崩し、たった2週間で帰らぬ人となったのは2003年のことでした。

直接の死因は肝臓がんでしたが、あまりに突然亡くなったため、一体何が起きたのか、私には理解できませんでした。きっと夫も同じだったでしょう。まさか自分がそんなに呆気なく死ぬとは思っていなかったはずです。

残された私は、ただ呆然として日々を過ごしていました。そんなある日、夫の友人から、「彼の死には枯葉剤が影響しているかもしれない。グレッグはそれを恐れていた」と聞かされ、驚きました。

夫のグレッグ・デイビスさん。ベトナム撮影中の1枚〈(C)2022 Masako Sakata〉

夫は1967年、19歳の時に米軍兵士としてベトナム戦争に派兵され、3年間従軍しました。そして南ベトナムで枯葉剤を浴びたのです。そのこと自体は私も聞いていたし、私と結婚したあとも、夫は「子どもは作れないかもしれない」とも言っていました。でもまさか、あの戦争から30年以上も経って枯葉剤の影響が出るなんて、思いもしませんでした。

彼が除隊から数ヵ月後の70年夏に来日し、京都へやって来て私と知り合った当時、私は京都大学の学生でした。その2年後、私たちは結婚。やがてフォトジャーナリストとして活動を始めた夫は、80~90年代に『TIME』誌の専属カメラマンとして何度もベトナムを訪れ、枯葉剤の影響を受けた人たちを取材していました。彼自身、戦争で傷ついた何かを洗い流したかったのかもしれませんね。同時に、内心では枯葉剤が自分にもたらす影響に怯えていたのでしょう。

私は藁にもすがる思いで、枯葉剤について調べたい、と思いました。そして、それを映画にしたい、と。映画なんて撮ったこともない、ホームカメラくらいしか触ったことがなかった私が、です。でもその時の強い思いが、映画を撮るきっかけになりました。