◆不幸を細分化して描くこと

二人の子どもを置き去りにした母・蓮音、蓮音の母親の琴音、そして死んでいく子どものひとりである桃太。物語は、この3つの視点が入れ替わりつつ、時間軸が前後しながら進んでいく。

始まりは、蓮音の事件が報道された直後。琴音のところに押しかけてきた記者が、「あなたも、娘を捨てて出て行ったんじゃないですか?」「虐待は親から子に連鎖すると言いますからね」と問い詰める。

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母と娘の問題は、「あの母にしてこの娘あり」とか「血の問題」みたいなことに結びつけてわかりやすく語られがちですが、決してそうではありません。画一的には語れない。なぜなら、幸福も不幸もその人固有のものだから。100人いたら100の不幸の形があって、それぞれの人のさまざまなピースが複雑に組み合わさった結果、時に事件が起こります。そこをちゃんと描きたかった。

そのためには、その人物の不幸がどういう要素で成り立っているのかを細分化して小さなピースに分け、いくつもの異なる側面から描く必要がありました。3つの視点から描いたのも、それぞれの内面に分け入り、ごまかさずに書くためです。

それからもうひとつ、やっぱりひどい犯罪ですから、加害者に対して同情の余地はないと思うんですね。悲惨な事件が起こったという事実は動かすことができません。でも、書いているうちに肩入れしてしまい、蓮音には実は事情があったんだよと、言い訳をしたくなってしまうかもしれない。

そうならないようにするために、子どもたちの置かれた状況を描く桃太のパートを間に挟んだのです。そうすることで、彼女は子どもたちにこんなひどいことをしたんだ、と確認しながら書き進めることができました。

この桃太のパートは、昔話を読み聞かせるかのような「ですます調」です。昔話って本来、残酷さや恐ろしさを内包しているものなので、残忍さを浮き上がらせるためにこのような文体にしました。

物事を起こった順番に並べず、前へ行ったり後ろに飛んだりする構成にしたのは、人生って単純なものではないと思うからです。ひとりの人間の成り立ちは、「こういうふうに育ってきたから、こういう人間になりました」という因果関係で説明がつくものではありません。いろいろな要素がちりばめられ、突発的な出来事が起こり、そのたびに化学反応を起こして、それが人間を形づくっていく。