『つみびと』は毎日少しずつ掲載される新聞連載でしたが、今回もスタートしたときに世界は完全にできていたので、書いている間はほかの作品同様、描写に徹していました。ただ、何百回という回数を続けていくパワーというか根性?はついたかもしれません。

連載中に、同じような児童虐待事件がいくつも起こりました。現実の世界に向かって書いているつもりでしたが、現実がこちらに近寄ってきているようにも思えた。時代にリンクするものを書いているときには、ときどき起きることなのですが、「今を書く」ってこういうことなのかもしれません。

悲惨な事件が後を絶たない、こんな世の中にあって、ある種の人々にとっての小説の効用はますます大きくなっていくと思います。今時、無駄だと思われがちですが、小説を読むということは、体験していない人生をイマジネーションで構築する行為です。

他人に消費されていない、自分だけの物語を頭の中でつくり、さまざまな経験ができる。そして、経験を積んでゆくなかで、他人の物語が自分の物語になる瞬間に、ときに出会うことがあると思います。それこそ読書の醍醐味。

読者から「私の気持ちを初めて言葉にしてくれた」と言われることがあるんですが、それは一番重要だと思うものと、一番許せないと思うものを心の芯の部分で共有していることにほかなりません。その後の人生がきっと変わるでしょう。そんな本との出会いをしてもらえたらいいな、と願っています。

先日、『つみびと』のサイン会をしたときに、福祉関係の専門家の方が「うちの生徒全員に読ませます」と言ってくださったのは嬉しかったですね。福祉の分野で働くことを目指す若い人たちに読んでもらえるなんて、作家冥利に尽きますね。

『つみびと』には、いつにも増してたくさんのお手紙をいただきましたが、その中には「わが子を虐待してしまう自分をとめられない」「親から性的虐待を受けてきた」といった内容も少なくありませんでした。

「ずっと心の中に秘めてきたけれど、この本をきっかけにようやく言葉にすることができた」「カウンセリングへ行ってもわかってもらえなかった。精神障害扱いされたこともある。それが一冊の本で溶け出した」──。こんな文面を読んでいたら、こちらもグッときてしまって、本当に書いて良かったと思った。

本を読むというのは自発的な行為です。だからこそ、物語の中に自分を投影することができるし、助かりたいと思う人には、薬になる何かが見つかるのだと思います。