不可思議なものに目を向ける意味

霊が見える人と見えない人の違いは何か? とよく聞かれます。その時に私がお話しするのは、私たちの目に見えるものには人それぞれ違いがあるということです。

そもそも私たちの目は、太陽や電灯などの光源が放つ光が物に当たり、反射した光を受け止めることで、物の形や色を認識しています。けれどその時、人によって見えるものと見えないものに違いがあることは科学的にも証明されているようです。それが、霊が見えるか見えないかの違いにも表れるのだと私は考えています。あるいは、何かのタイミングで霊に波長が合ってしまったのかもしれません。

つまりは、皆さんの周りにも霊は確かに存在している。ただ、目で認識できていないだけなのです。

この話をするたび、『般若心経』の「色即是空 空即是色」という言葉を思い出します。「色」とは目に見えるもの、「空」とは見えないもの。つまり、「目に見えるものは即ち見えない、目に見えないものは即ち見える」という意味になります。難しいですか? この言葉の説明をすると、仏教は哲学的で難しいと言われてしまって(笑)。実際、この言葉には、古来さまざまな解釈がなされてきました。

すなわち、見えるものから、見えないものを感じることで、そのものの大切さに気づく。そして、見えないものを蔑ろにしては決して良いものは生まれないということなのだと思います。

現代社会においては、目に見えないものは無いものと捉えてしまいがちです。けれど、人の「心」や「ご縁」といったものは目に見えなくても確かに存在し、目に見える世界に影響を与えています。だからこそ、不可思議なものに目を向ける意味があるのだと、私は「怪談説法」で伝えようとしているのです。