この世に起こることはすべて「因果応報」

仏教では、この世に起こることはすべて「因果応報」であると捉えています。善きことをすれば善き結果を招く、悪しきことをすれば悪しき結果を招く。つまり日頃から「徳」を積むことによって不運から逃れ、幸運を呼ぶ流れを整えることができると言われてきました。

人間にも根っから凶悪な人はなかなかいません。同じように、本当に悪い霊というのはほとんどいないのです。ただただ寂しい。恨みが消えない。または、心残りがあったり、善悪の区別がつかなかったり……。

ですが、誰かを裏切ったという罪悪感を抱いている人にとっては、幽霊という存在は、恐怖でしかないでしょう。一方で、愛する人を亡くし、再会したいと願っておられる方には、奇跡として感じられます。つまり、幽霊を見た時にどう捉えるかは、生きている人の心次第だと言えるのです。

私は仮に、「三木大雲」と書かれた藁人形が五寸釘で木に打ちつけられていたとしても気にしません。「呪い」は、人の怒りや恨みから生まれるもの。「誰の仕業かな? もしかしてあの人か……」と考えているうちに、その呪いに搦(から)めとられてしまうからです。悪意をはねのけるためには、自らの行いを振り返りましょう。

そして、自分は人に恨まれるようなことはしていないという確信があるなら、気にする必要はありません。もし心当たりがあるなら、お祓いをするとともに、悔い改める必要があります。

なお、呪いは、直接的・間接的に相手にぶつけた後は、必ず《生みの親》に戻ってくると言われているので、ご注意を。

ご先祖さまに祟られるなどと怯えている人もいますが、先祖霊が子孫に祟るなど、まずありえません。たとえば、亡くなったはずの家族の顔が写真に写っていたら……。あなたが怖いと感じるのは、長い間その方のことを忘れていたからではないでしょうか。毎朝手を合わせているなら、守られていると感じることができるでしょう。

私が恐ろしいと思うのは、家の敷地内にあるお稲荷さんなどの祠を無造作に壊すこと。大変な恨みをかい、不幸を招きます。実際、そうした事例をたくさん見てきました。それまで長年にわたり家を守っていたお稲荷さんからしたら、後足で砂をかけられたようなもの。怒るのも当然ではないでしょうか。つまりは「因果応報」なのです。