怖いという感情は思いやりに通じている

科学的には説明できないような怪異に出会った時、私たちはどうすればよいのでしょうか。私がおすすめするのは、やみくもに怖がって排除せず、前向きに捉えることです。

あるレストランの店主が相談に見えました。店におばあさんの霊が出て、困っているとのこと。店の雰囲気が暗く、何か物音がするたびに店員がビクビクしていたら、お客さんも落ち着きませんよね。そこで、私はアドバイスしてみました。おばあさんを歓待してみてはどうかと。店主は「出てくれてありがとうございます。これからも店を見守りください」と伝えて供養したところ、突如としてお客さんが増え始めたそうです。評判が評判を呼んで、ついにはその街でも一、二を争うような人気店になったとか。

供養とは、仏さまや神さま、ご先祖さまや亡くなった方々に尊敬の念を表す儀式です。レストランの店主はおばあさんに語りかけることで、事態が好転しました。不可思議な存在を隣人として受け入れるのも一つだと思います。

ただ、私は「怖い」という感情までを否定するわけではありません。実は、怖いという感情は人間の心の形成には欠かせないという説があります。事故で脳を損傷し、怖さを感じなくなった女性がいたそうです。すると、対人関係において、怖さとともに他者を思いやる気持ちまで消えてしまったのだとか。「怖い」は「相手を理解する」気持ちに通じているのです。

「怪談説法」を通して、私は「恐怖」と「目に見えない世界」、そして仏の教えを伝えています。私の話で、怖さを感じるだけでなく、目には見えない存在に対する優しさを備え、仏の教えを学んで、生きる力にしていただきたいと願っています。

さて、今年もお盆の時期が近づいてきました。お盆には、次のような由来があります。目連尊者(もくれんそんじゃ)というお釈迦様の弟子が、餓鬼道に堕ちた母親を救おうとしましたが、うまくいきません。どうしたものかとお釈迦様に相談したところ、「雨季のあける頃に餓鬼道にいるすべての者を救いなさい。そうすれば母親を救うこともできる」と説かれました。

つまりお盆は先祖供養をするだけでなく、この世に帰ってくる霊を供養する日。すべての霊のご冥福をお祈りしましょう。