「夜の公園で出会った子どもたちは、私の怪談を聞いて、『幽霊と僕たちは同じだ』と言いました。家族は自分のことなど見えていないかのように無視するし、世間でも厄介者扱いだと」

霊の寂しさに寄り添うように

全国で講演をしていると、怪談好きの方がこんなにも多くいらっしゃるのかと驚きます。なぜ皆さん、不思議な話に惹かれるのでしょう。多くの人は孤独なのかもしれない――と私は考えています。

夜の公園で出会った子どもたちは、私の怪談を聞いて、「幽霊と僕たちは同じだ」と言いました。家族は自分のことなど見えていないかのように無視するし、世間でも厄介者扱いだと。世の中で見えない存在である自分たちに語りかけてくれ、見えない幽霊たちについて話をするお坊さんは「すごい」と言うのです。彼らの孤独に触れた気がしました。

その後も相談に乗っているうちに、彼らは一緒にお経を唱えるようになり、20年以上経た今は、さまざまな形で私の活動を支えてくれています。

存在を無視されて、孤独で寂しいのは生きている人間も幽霊も同じです。人間は寂しいとグレることがありますね。幽霊も一緒。やみくもに追い払おうとすれば、ひねくれた挙げ句に恨みを募らせてしまう。ですから、私は供養を頼まれた時は、霊の寂しさに寄り添うよう心がけています。

ある日、マンションの管理人さんから相談を受けました。8階の一室に女の子の霊が出て、住人が困惑しているのでお祓いをしてほしいというのです。深夜、キッチンで見たこともない女の子が食器を触っていたり、トイレや風呂場で女の子の歌が聞こえたりするとか。早速、該当の部屋で読経したのですが、それだけではなく「ここにいてはいけないよ。住人が怖がっているからね」と、心の中で女の子に語りかけたのです。

ほどなくして同じ管理人さんから連絡がありました。8階では怪奇現象が起こらなくなったものの、今度は4階で女の子の霊が出るというではないですか。迷いのある霊を一度の読経供養だけで成仏させることは難しい。私は再びマンションに赴き読経を終えました。その帰りのエレベーターでのこと。ふと前方の液晶モニターを見ると、私の後ろに女の子が立っているのが見えたのです。さすがにギョッとしましたが、女の子に「一緒にお寺においで」と伝えました。

後に聞いたところでは、マンションが建つ前、その土地には一軒家があり、火事で両親と幼い女の子が亡くなったのだとか。ご両親だけが成仏してしまい、女の子は一人で彷徨っていたのでしょう。今では、境内にいる姿を参拝者に目撃されたり、夜に遊んでいる声が聞こえてきたりと、お寺が気に入った様子です。やがては成仏へと導くことができる。そう信じて読経を続けています。