女王の決意

マーガレット・サッチャー首相(提供:読売新聞社)

「アミン訪英」問題で揺れに揺れたロンドンでのCHOGM(コモンウェルス諸国首脳会議)から2年が経ち、1979年の夏にはアフリカ大陸で初の会議が予定されていた。場所はザンビアのルサカ。かつて北ローデシアと呼ばれた植民地である。

ホストを務めるのは「独立の父」カウンダ大統領であり、今回の会議で最大の議題とされたのが、南隣の南ローデシアにおける黒人差別政策についてであった。サッチャーは行く気がしなかった。自分には直接的利害の薄いアフリカのことなどより、イギリス経済の立て直しのほうが優先すべき課題なのだ。

さらに会議への出席を予定している女王にとっても、ザンビアなど危険である。かつてのヒースさながら、首相は女王に「欠席」を要請した。ところがこれに対する女王の返答は強烈なしっぺ返しとなって現れた。なんと女王は8月1日からのルサカでの会議を前に、タンザニア、マラウィ、ボツワナといった周辺諸国を順次公式訪問すると発表させたのだ。

女王が「国賓」として各国を公式に訪れるともなれば、イギリス報道陣も大挙して同行する。その終着点がザンビアのルサカである。世界中の注目が集まる場に、就任したばかりのイギリスの首相が不在ともなれば、世界はどう思うだろうか。

ここにサッチャーもしぶしぶCHOGMへの出席を決意する。サッチャー自身の回顧録には次のような文章がある。

「女王はルサカで大変な歓待を受けた。それとは対照的に、私はそこでは好ましい人物というにはほど遠い存在だったので、なんの前触れもなしに、7月30日の夕刻にルサカに到着した。しかしそこで私を待ち受けていたものは、敵意に満ち満ちた記者会見であった」。