サッチャー首相の変化

翌日の会議では、サッチャーはまるで別人のように変わっていた。この年の秋からロンドンを舞台に南ローデシアのすべての指導者を一堂に集め、交渉を行わせると約束したのである。これには各国首脳らは度肝を抜かれた。

その日の晩、カウンダ議長はサッチャー首相の側にしずしずと近寄り「私と踊ってください」と申し込んだ。サッチャーとカウンダが踊るワルツは、南ローデシアで待ちかまえる難局を打開する希望のように思われた。

そして1979年9月からロンドンのランカスター・ハウスで会議が開かれ、キャリントン外相を議長に3ヵ月に及ぶねばり強い交渉が続けられた。ここで12月に結ばれた協定に基づき、翌1980年2月には黒人たちにも初めて選挙権が与えられ、ようやく平等な国家として新生「ジンバブエ」(同地の言語で「石の家」の意味)が誕生することとなった。

ロンドンでの会議を成功に終わらせた最大の功労者はキャリントン外相であった。しかしその彼が交渉を円滑に進められたのは、CHOGMで女王が見せた「人種偏見のない」公正な態度であった。彼はこうも述べている。

「もしルサカ会議がうまくいかなかったならば、コモンウェルスもその時点で崩壊していたといっても過言ではない。誰もが小さな帽子を持っているものだ。しかし、女王陛下は特大級の帽子を持っておられる。それですべての人を包み込んでしまうぐらいに大きなやつをね」。

※本稿は、『エリザベス女王――史上最長・最強のイギリス君主』(中公新書)の一部を再編集したものです。


エリザベス女王――史上最長・最強のイギリス君主』(著:君塚 直隆/中公新書)

1952年に25歳で英国の王位に即いたエリザベス女王(1926~)。カナダ、オーストラリアなど16ヵ国の元首でもある。ウィンストン・チャーチル、サッチャー、ジョンソンら十数人の首相が仕え「政治経験が長く保てる唯一の政治家」と評される彼女は、決して"お飾り"ではない。70年近い在位の間には、ダイアナの死をはじめ、数多くの事件に遭遇、政治に関与し、20世紀末には強い批判も受けた。本書はイギリス現代史を辿りつつ、幾多の試練を乗り越えた女王の人生を描く。