政治家としての実力

ここで会議に風穴を開けたのが女王であった。女王はCHOGMに出席する前に、いつも外務省の高官から加盟国のすべての現状について詳細な報告を受け、それをもとに会議の際には各国(ただしイギリスを除く)の首脳たち全員と同じ時間ずつ私的な謁見をもっている。キャリントン外相はこのときの様子を次のように述べている。

「会議での女王の対応の仕方には目から鱗が落ちるような思いがした。陛下は首脳たちの一人ひとりとまったく同じ時間で個別に次々と会見を済まされた。このときから、会議全体の空気が大きく変わったのである。

陛下の極意とは、誰に対しても平等に接するということだった。イギリスだからといって優先順位が与えられるわけではなく、それが他の参加国にとっても大きな驚きをもたらすのだった」。

1979年のルサカでの会議の1日目は、こうして各国首脳たちと女王の謁見が済み、再び会議の席に着いた彼らには、なごやかな空気が流れるようになっていた。さらにその日の夕刻。晩餐会場の片隅でひとりぽつんと佇んでいたサッチャーを中央に連れ出して、アジアやアフリカの首脳たちに次々と紹介してくれたのがほかならぬ女王であった。

サッチャーは、カウンダやタンザニアのニエレレらと親しく話していくうちに、南ローデシアの惨状についてようやくその現実を知ることができた。また彼らアフリカの指導者たちも、彼女の政治家としての実力が並々ならぬものであると感じ取った。