国民に姿を見せることも君主の責務のひとつ

「姿を見せない女王」。実はそのような人物がこれより130年ほど前にもう一人いた。女王の高祖母ヴィクトリア女王である。1861年12月に最愛の夫アルバートに先立たれたヴィクトリアは、以後、ロンドンやウィンザーに姿を見せることは稀となり、バルモラル城やイングランド南部のワイト島に建つオズボーンの別邸でその一年の大半を過ごすようになった。

『エリザベス女王――史上最長・最強のイギリス君主』(著:君塚 直隆/中公新書)

いずれもアルバート自身の設計になる、アルバートとの思い出がいっぱい詰まった建物だった。しかしそれが国民に誤解を与え、「女王は責務を果たしていない」「もう女王などいらない」と、1860年代末には俗に「共和制運動」と呼ばれる反君主制の動きがイギリス全土で見られることになった。

やがてヴィクトリアは「国民に姿を見せることも君主の責務のひとつなのだ」と悟り、1870年代初めまでにはロンドンやウィンザーでも執務を行い、君主制は存続できた。

まさにこのときバルモラルに閉じこもり、下界から切り離されていたヴィクトリアの姿は、1997年夏のエリザベスのそれと同じであった。女王もこのままでは国民から誤解され、君主制の危機にまで発展してしまう。