怖さと面白さを同居させられる作者の虜に
綿矢りささんの文章は、するすると頭に入ってくるほど平易なのに、背中の掻かれたことのないところまで掻いてきて、掻かれてはじめて「あ、そこかゆかったんだ」と気づくくらい、感動的なほど新しい感覚を提供してくれる。
たとえば現在、すべての人が経験しているコロナ禍だったり、多くの人が見るYouTube、ちょっとした整形や、大勢が圧倒的「正義」側に立って「社会悪」側を袋叩きにする姿などを扱った場合、その「新しい感覚」はよりわかりやすく私たちに届くことになる。
文学や小説は大なり小なりそんな「感覚」をもたらしてくれるものだと思うのだが、本書はそんな「現在」を切り取った新感覚が詰まった4本の短編集だ。
私が綿矢りささんの小説に惹きこまれるのは、この作家独特の感覚の虜になっているのに加えて、登場人物たちが名状しがたい「なんだかよくわからない関係」だからだ。
ひとりとしておなじ人間がいないのだから、関係もまたおなじものはない。「この関係は、なんと呼べばいいのだ」と、友だちとか同僚とか夫婦という関係のなかにある人たちを見ても、不思議に思うことはよくあるが、それが描かれている。
表題作では「夫婦」と「友だち」が集まって、不倫をした主人公の男が全員に吊るしあげられる。「神田タ」では、YouTuberと視聴者という関係、「眼帯のミニーマウス」では社内の人たちとの関係が扱われる。
もちろん読者とは違う人物たちが織り成す物語なのだが、彼らの関係が説得力を持って「これわかっちゃう自分はマズいのではないか」に変換されていく心地よさがある。こういう人いる! という共感もある。
しかもデビュー20年をこえたいま、そういった関係を描く際にユーモアまでちりばめられている。怖さと面白さが同居しているのだ。