できなかったことができるようになれば世界が広がる

片麻痺になると、物を容易に拾うことができません。体勢を崩して転びやすいし、転んだら自力でなかなか立ち上がれないからです。

数年前、浴槽内で腰掛ける椅子を忘れたままお風呂に入ってしまい、しゃがんだ状態から動けなくなったことがありました。溺れたら大変、と慌ててお湯を抜いたらますます立ち上がれなくなって。12月の寒さのなか、「このままでは風邪をひく」と知恵を絞り、浮力を生かそうと溢れるくらいお湯を溜めたら、なんとか脱出できたんです。

だから調理器具も安定性が一番。探し当てたのは食材を固定する金具の先が尖っていないのに一度刺したら抜けなくて、底に滑り止めが付いた物。これでニンジンの皮を剥き、包丁で3等分にできたときは、思わず「やった~!」と叫びましたね(笑)。僕が立ち直れたのはこの商品のおかげといってもいいくらいです。

アップルピーラーも、感動した器具の一つでした。病気になる前の僕は、日本で一、二を争うくらいリンゴを剥くのが速かったと思うのだけど、片手ではもう二度と剥けないと思っていた。でもこれがあればハンドルを回すだけ。人は、できなかったことができるようになるだけで、一気に世界が広がるのです。

1:ハンドルを回してリンゴの皮剥きをするアップルピーラー。上半分が剥けたら、上下を入れ替える/2:スライサーのセット。メニューに合わせてスライサーを選べば、千切りが欠かせないきんぴらもお手のもの/3:包丁は、刃元の角をまな板につけて安定させる

調理道具ではないけれど、文鎮がまさによい例でした。利き手ではない手でペンを持ち、もう片方の手で紙も押さえられないとなると、字はまともには書けません。

店を手放すとき、契約書のサインはどうしても自分でしたかった。いろいろ試して、製図用の魚型文鎮を発見。銀行で大きな文鎮を引っ張り出したのは恥ずかしかったですが(笑)、おかげで3年かけて、自筆で人生に一区切りつけることができました。