「角界のプリンス」と呼ばれた初代の貴ノ花


テレビ画面に、花道の壁に「花道では私語厳禁 水を吐くなど一切禁止」という張り紙が映る。そこに「役力士は立ち合いで相手をよけないで!」とか「役力士は早めに勝ち越しましょう」と張り紙をしてほしい。
それが駄目なら、「立ち合いで対戦相手をよけると運気が下がる」という根拠のないうわさを、まことしやかに幕内力士のいる支度部屋に流すしかない、と私は真剣に考えた。

私は、幼稚園に入る前から大相撲放送を見ていたが、その記憶の中で放送中に「たまには立ち合いに変化して良い」と解説者に言われ、アナウンサーも賛同した力士がいた。
「角界のプリンス」と呼ばれた初代の貴ノ花(元大関。横綱の3代目若乃花と貴乃花の父親)だ。細い体でも強靭な足腰を持ち、あきらめない相撲を取り続けた超人気力士だった。誰との対戦だったか忘れたが、立ち合いでよけたことがあり、「二度としない」と後悔し反省していた。後に横綱になった日馬富士は、同じように細身の貴ノ花のビデオを見て研究している時、この話を知り、尊敬したことが放送されたことがある。

9日目の大相撲放送中に、「思い出の土俵」として昭和55年秋場所の熱戦が放映された。横綱・若乃花(2代目)が4回目の優勝をした場所だ。

その中で大関・貴ノ花と前頭5枚目・高見山の対戦が紹介された。土俵際の投げの打ち合いで同時に土俵から落ちて物言いがついた。「相撲は顔から落ちろ」と言われる通り、貴ノ花は顔から落ち、顔は血だらけだった。貴ノ花の髷が一瞬早く土俵について負けとなったが、貴ノ花は「髷がなかったら力士じゃないよ」とインタビューに答えたのは、当時、名台詞と言われた。

今も昔も相撲ファンは、相手をよけたりしない熱戦を見たいのだ。千秋楽の玉鷲と高安の優勝争いだけでなく、他の取組でも激闘を期待したい。
そして優勝のインタビューには、相撲史に残るようなカッコイイ言葉を聞きたい。

「角界のプリンス」と呼ばれた大関・貴ノ花のレコード(発売元=トリオ〈株〉)と引退後に発売されたビデオ「さようなら 大関 貴ノ花」(発行=NHKサービスセンター、発売元=〈株〉ポニーキャニオン)。レコードには、昭和50年初場所の横綱・北の湖との優勝決定戦の放送も入っている。ビデオデッキもレコードプレーヤーも家にないが、捨てられない家宝だ(写真提供◎しろぼしさん)

※「しろぼしマーサ」誕生のきっかけとなった読者体験手記「初代若乃花に魅せられ相撲ファン歴60年。来世こそ男に生まれ変わって大横綱になりたい」はこちら

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