「残された私は、何もさせてもらえないまま夫が旅立ってしまったことに、寂しさを感じるのです」

10年ほど前、自宅を建て替えた際にバリアフリーにしたのも、年齢的に必要だと感じたから。以前は当時の流行りで段差の多い家だったので、新居はフロアの段差をなくし階段も広くゆるやかにして、暮らしやすい形に変えました。

仮住まいをする必要があって少し荷物を処分したものの、新たに大きな納戸を作ってしまったので、断捨離はまだできそうにありません。(笑)

そうしたなかで唯一「最期」を考えて行動したのが、日本尊厳死協会に入ったことでしょうか。治る見込みのない病気で死期が迫ったとき、管や機器をつなぐなどの延命治療を行わない。その意向を表明しておくものです。夫からこういうものがあるのだと教えてもらい、14年前に2人で入会しました。そのときは、「最期」はずっと先のことだと思っていたのですが……。

 

何もさせてもらえない寂しさを感じて

今年2月、夫が外出先で倒れて病院に救急搬送され、1週間後に亡くなりました。80歳でしたが、直前まで記者として仕事をしていましたし、何の兆候もなく本当に突然の出来事でした。

私は運ばれた病院にすぐに向かうことができず、息子が駆けつけて。そのときはまだ少し会話ができたので、息子にいろいろな指示をして、尊厳死についても伝えたそうです。その後、眠りについたまま、目を覚ますことはありませんでした。

映画の中では、これまで何度も夫を看取ってきました。『ゆずの葉ゆれて』では寝たきりになった夫を献身的に介護して見送り、『長いお別れ』では認知症の夫を10年支えて最期を看取り……。ちなみに、アメリカでは認知症のことを、少しずつ記憶をなくしゆっくり遠ざかっていく様子から、「ロング・グッドバイ」と呼ぶのだそうです。

私の場合は、長いお別れをすることもないまま、まさに突然のサヨナラ。介護には大変さや苦労がつきものであることは知っています。本人がこのお別れをどう思ったのかも、今となっては知りえません。それでも残された私は、何もさせてもらえないまま夫が旅立ってしまったことに、寂しさを感じるのです。