幼い頃は、いつも3人で遊んでいた。母の仕事がどれだけ忙しくても、「寂しいと感じたことはない」という

2人きりの同居生活に限界がきて

かれん ノエルはカナダのヨガ教室を大きくしようとしていたタイミングだったし、娘の大学受験もあったから、バンクーバーの生活を手放すには勇気が必要だったでしょう。

ノエル かれんはかれんでファッションの仕事を本格化したところで、ローリーも会社を立ち上げたばかり。3人それぞれ自分の仕事を広げている時期ではあったのよね。

かれん だからノエルが帰ってきてくれるのは、私もローリーも「すごく助かる」と思った。それで最初は、私の家にほど近いマンションに2人で住んでもらって。

ノエル そう。でも、私がどうしても自然が多い場所じゃないと暮らせなくて、しばらくして鎌倉へ引っ越すことになったんだよね。

かれん 症状が進むにつれて私たちの知っている「お母様」ではなくなっていく過程を間近に見るのは、心の負担が大きかったと思う。私も仕事が忙しくてあまり手伝えなかったから、せめてノエルの話を聞いて精神面をサポートしたいと思っていたけど……。

ノエル 私は一言「ありがとう」と言ってもらえるだけで、すごく救われた。それにかれんとは昔から、子育ての大変さを語り合っていたものね。