2021年7月、家族で母・洋子さんの84歳の誕生日をお祝い

かれん 当時、母は友人家族と東京の一軒家で同居していたのだけれど、その方からも「洋子先生が心配だ」と言われて。日本でもう一度検査を受けてもらった結果、アルツハイマー型認知症と診断されたのよね。ショックが大きかったし、あの時はきょうだいみんなパニックになっていたと思う。

ノエル そうね。だって、まだ連載や書き下ろしの仕事をたくさん抱えて、バリバリ働いている状態だったでしょう。母の仕事相手や幅広い交友関係の人たちに、病気のことを公表すべきかどうか。そうした悩みがまずあったかな。

かれん その頃の母を支えてくれたのがノエル。バンクーバーの家へ呼んで、連載の原稿を書くサポートもしていたよね。

ノエル 私の仕事は時間に融通が利くから。それに離婚してシングルマザーになってからは、精神的にも経済的にもいちばん母の援助を受けてきたわけだし。だからバンクーバーで同居して、穏やかに老後を過ごしてくれたらと思っていたのだけれど、思った以上に大変で……。

かれん 私たちみんな、認知症という病気について知識が足りなかったものね。特に母の場合、初期にものすごく急激に症状が進んだから。

ノエル 自分が自分でなくなる不安に取りつかれて、精神的にもひどい状態だった。やっぱり住み慣れた日本で暮らすのがいいのかなと思って、私も一緒に帰ってくることにしたの。