ヒップホップはテクノロジーの影響を受けて進化を続けてきた(写真提供:Photo AC)
サブスクリプションサービスの浸透で、さまざまなジャンルの音楽を気軽に聴けるようになった昨今。そのうち特にブルース、ジャズ、ファンクなどのジャンルと切っても切れない関係にあるのが“黒人音楽”で、「壮絶な差別との闘いを続けてきたアメリカ黒人の反骨の精神が表現されてきた」と語るのが批評家でライターの後藤護さんです。中でもヒップホップは、さらにテクノロジーの影響を受けて進化を続けてきたとのことで――。

ブレイクビーツとラッパーの誕生

カリブ系移民のDJクール・ハークが、1973年8月11日に資金集めのために開いたウエスト・ブロンクスのパーティーが、ヒップホップ・テクノロジー史の元年である。というのも、この日にいわゆる「ブレイクビーツ」が発明されたのだ。

クール・ハークは、ブレイクと呼ばれる楽曲の間奏部分(ヴォーカルのない最も踊れる部分で、「音のオーガズム、歌の絶頂点(1)」)でフロアの客が最も盛り上がることをDJブースから確認していた。

そのブレイクは無論途切れるのだが、二台のターンテーブル、同じ二枚のレコードを駆使することで、そのブレイク箇所を交互に繰り返して、半永久的に踊り続けることができるブレイクビーツが発明された(当時のクール・ハークはこれを「メリーゴーラウンド」と呼んでいた)。

そしてこのDJのさなかに、クール・ハークは自らマイクを持ってフロアを盛り上げる「トースティング」も行っていた。しかしDJ作業の忙しさから、ハークの代わりにコーク・ラ・ロックがこのMCを務めるようになり、フロアの友人の名前を叫んだりするようになった。

これがラッパーの生まれた瞬間であり、いまでもラッパーをMCと呼ぶのはこの時代の名残りである。