樋口恵子さん(左)と、上野千鶴子さん(右)(撮影:大河内禎)
2000年4月にスタートした公的「介護保険制度」。それまで家族頼みだった介護を社会全体で支えるべく施行され、多くの人に利用されてきた。しかし、3年ごとの制度改定や介護保険法の改正のたびに、サービスの切り下げと利用者の負担増が続いている。制度の誕生にかかわった樋口恵子さんと、介護の現場を取材し続けている上野千鶴子さんがいま抱く危機感について語り合う(構成=福永妙子 撮影=大河内禎)

「介護の社会化」を旗じるしにスタート

上野 私は、介護保険制度は、ここ何十年かのあいだに日本で達成された改革のうち、もっとも国民の声を聞き、暮らしを変えた制度だと思っています。家族介護を公的なサービスに移行することで、高齢者や家族はどれほど救われたか。樋口さんは介護保険制度の成立に大変尽力されましたね。

樋口 日本では伝統的にずっと「介護を家族がやるのは当然だ」とみなされてきましたから。

上野 家族、それも、「女」です。

樋口 3世代が同居する家庭では、介護はもっぱら「嫁」の役割でした。1990年代、私は講演で全国を回りましたが、農村部でも都市部でも、自分を犠牲にしてきた女性たちの話をたくさん見聞きしました。妊娠したら介護のために中絶させられた、というケースもあったのです。

「介護自殺」「介護殺人」といった新聞記事を頻繁に目にしたのもこの頃です。介護の負担を女性や家族だけに負わせていいのか、いや、社会全体で支え合う制度を作らなければと、「介護の社会化」を旗じるしに仲間たちと取り組み始めた。それが介護保険法成立を目指した出発点です。

上野 その頃は、「家に他人を入れるなんてありえない」という風潮。政治家の「子が親を看る美風」という発言もありました。