当時の武士にとって一族のしばりは非常に重かった

当時の武士にとって、一族のしばりはとても重い。また、婚姻も重い。

実はドラマで描かれる時代より少し後の宝治元年(1247年)、義村の息子の代で三浦はついに北条と干戈を交えることになり、滅んでしまいます。

このとき、三浦の陣営に毛利季光という武士が加わりました。この人は大江広元の息子で、神奈川県の毛利台あたりにあった毛利庄を所領としていた。

「あれ?広元の息子なら文官じゃないの?」

うん、そうなんです。どうも当時の関東では、武士の方が人気があったらしい。文官の子も武士化していくんですね。季光も机の上の学習より武芸に励んで、有力御家人の一人になっていました。

さあ出陣だ。季光は武具に身を固め、家の子、郎党を率いて家を出ます。彼はこのとき、戦いは北条の勝ちだと見切って、北条陣営に赴くつもりでした。ですが、途中で思い直します。

「妻を三浦からもらっているのに、これで三浦を裏切ったら、我が身かわいさに名誉を軽んじた情けないヤツだ、といい笑いものになるよな……。よし、やはり三浦の味方をしよう!」

そう決意を固めた季光は、三浦勢の一員として果敢に戦い、滅びていったのです。ちなみに、彼の子孫が戦国大名の毛利元就であることはいうまでもありません。