小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る武士たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(総合、日曜午後8時ほか)。10月23日の放送回では、後鳥羽上皇が閑院内裏の修復を鎌倉に引き受けさせる事を計画。その知らせが届いた鎌倉では、重い負担に御家人たちが反発し、和田義盛を旗頭に八田知家ら御家人が集います。その状況を義時は苦々しく思い…といった内容が展開しました。
一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第11回は「三浦と和田の関係」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
三浦と和田はどんな関係だったのか
前回のドラマで目立っていたのは、やはり三浦義村でした。
まず義村は義時と図り、挙兵するように和田義盛をそそのかしました。一方で戦を避けたい北条政子からは、宿老に取り立てることを条件として和田から離れるように頼み込まれます。
そうしたやり取りを経たのち、御所に攻め込む準備を進める和田陣営に加わるも、八田知家らには「この乱は失敗する」と言い、挙兵後に北条へ寝返ることを宣言しました。しかし巴御前から起請文を書くように迫られた結果、寝返るタイミングを失い……
と、あちらを裏切ればこちらを裏切り、和田と北条の間をいったりきたりしていました。
結局、ドラマの最後には和田陣営として出陣することになった義村ですが、そもそも三浦と和田はどんな間柄にあったのでしょうか。今回は三浦義村と和田義盛を中心に、その関係をおさらいしたいと思います。