「上京の決め手になったのは《達成感》ですね。舞台を終えたあとの、やりきった感がすごく心地良くて。」(撮影:小林ばく)
高杉真宙さんが11月4日のNHK『あさイチ』プレミアムトークに登場。朝ドラ『舞いあがれ!』ヒロイン・舞が所属する人力飛行機サークル「なにわバードマン」の設計担当・刈谷役でのエピソードなどを語ります。俳優になるきっかけや、事務所からの独立について語った『婦人公論』2021年12月28日・1月4日合併特大号の記事を配信します。

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13歳でのデビュー以来、数々のドラマ、映画、舞台で活躍してきた高杉真宙さん。コロナ禍を経て仕事との向き合い方を見つめ直し、2021年にある大きな決断をしました(撮影=小林ばく 構成=上田恵子)

忘れていたホームシック

僕はもともと結構な人見知りで、自分が人前に出る仕事をするようになるなんて、子どもの頃は夢にも思っていませんでした。実は会話も得意ではなく──いえ、しゃべるのは好きなんです。ただ、自分の考えをきちんとまとめて、筋道立てて話すのが苦手なんですよね。

だけどもう25歳ですし、そんなことを言っている場合じゃない(笑)。そろそろどんな状況でも緊張せず、落ち着いて話せる人間になりたいです。

この世界に入ったのはスカウトがきっかけでした。小学6年生の時に、地元の福岡から家族で熊本の花火大会を見に行ったところ、芸能事務所の人に「写真を撮ってもいいですか?」と声をかけられたのです。

当時の僕の夢は、レスキュー隊員になること。物心ついた頃からずっと憧れていました。また、弟が2人いて小さな子の面倒をみるのも好きだったので、幼稚園の先生もいいなと思っていたけれど、芸能界への興味はまったくなくて。事務所の方からその後も何度も連絡をもらいましたが、逃げ回っていました。

中学1年生の夏にちょっとだけ舞台に立ってはみたものの、「やっぱり向いてない、恥ずかしい」「やりたくない」の繰り返し。それでも先方の熱意に負けて上京したのが中2の時です。

まだ14歳ですから、親はどちらかと言えば反対だったと思います。でも、うちは自由な家で、両親からああしろこうしろと言われたことがない。その時も「自分で考えて決断しなさい」と言われました。