たとえば私であれば、経済的に恵まれなかったことや、虚弱体質であることは弱者性だろう。しかし逆に、国公立大学に現役合格できる基礎学力があったことや、親が大学進学を止めなかったことは恵まれていた点である。

もし私が「貧困でも努力すれば国公立大学くらいには行ける」なんて言ったら、それこそ生存者バイアスだ。また、自分の考えをこうして言語化する場を持つことも、私の持つ強者性と言えるだろう。

とはいえやはり、あらゆる指標のなかでも「経済的に強者であるか、弱者であるか」は、「社会的強者と弱者」を分ける大きな要素ではある。

 

自分の強者性は何か?
逆に弱者性は何か?
社会のなかで今、自分は強者なのか否か。

 

自分の特権(強者性)を自覚することができれば、他者に対する視点は大きく変わってくるはずだ。

 

「自分に備わった特権に無自覚である」ということは、「自分が当たり前に享受している権利を持たない人たちがいるという事実に無自覚である」ということだ。そうした悪気のない無知、あるいは無自覚が、たとえば生活困窮者の状況に対する、怠慢や、努力不足というジャッジに帰結してしまう。

強者には見えない弱者、見えないものとされてしまっている弱者は、あなたの周りに本当にいないと言えるだろうか。ほんの少しでいい。たった5ミリでいい。他者への想像力を及ぼす距離をみんなが伸ばしてみる。その総和が社会を少し優しくするのではないか。