強者性:優しくなるために自覚すべきこと
「なんでPC買わないの?」
「塾行きたいなら行けばいいじゃん」
「タクシー使おうよ」
「下着ボロボロじゃん。そういうの、積み重なって年取った時に差が出るよ」
「なんでそんないつも大変そうなの」
ネイティブ強者は、無邪気だ。無邪気さは時に凶器になる。コロナ禍で貧困に陥る人に対してはこんな声が上がった。
「なぜ貯金していないの?」
「なぜ有事に備えておかないの?」
「そんな仕事に就くから悪いんじゃない?」
普段はネイティブ強者の言葉を、違う世界の人のことと割り切って流せる自分である。しかし、コロナ禍でのこうした言葉については、無知は時に罪深いと思った。
私たちは貧富の再生産という大きな潮流のなかで生きている。私はネイティブ強者を「無自覚の特権性を持つ人たち」だと捉えている。まれに極めて客観的で自らの特権性に自覚的なネイティブ強者もいる。しかしそれは、天然記念物レベルで遭遇が困難な存在だ。生まれ持った〈特権=強者性〉を自覚すること、さらにそれを認めることは本当に難しい。
そして、誤解がないよう補足しておくと、「人は誰しも強者性と弱者性を内包した存在」だ。社会には絶対的強者や絶対的弱者がいるのではない。