13年間のマラソン競技生活で、日本記録を12回、世界記録を2回更新した増田明美さん。92年に引退後はスポーツジャーナリストとして各紙誌での執筆や、大学での講義など幅広く活躍しています。特にマラソン・駅伝における「こまかすぎる解説」はテレビ中継で人気を博していますが、実は最初の解説ではほとんどしゃべることすらできなかったそうで――。
最初の解説で大失敗
今でこそ「こまかすぎるマラソン解説」が代名詞となっている私ですが、実は初めてのマラソン解説では全然しゃべっていないのです。
それは引退から四ヵ月後のこと、1992年5月、韓国・ソウルでの国際女子駅伝でした。
レース当日は文教大学教授の梶原洋子先生がメインの解説者で、私はゲストとして呼ばれていました。あの頃の私は今みたいなキャラではなく、もっと奥ゆかしかったので、梶原先生の話の邪魔をしてはいけない、それだけが頭にあり、必死でした。
「えぇ」とか何げないひと言でも先生と重なっては失礼だから、と、タイミングを見ているうちにほとんどしゃべれなくて……。
大会には小出義雄監督もいらしていて、終わった後に各国の選手と中国料理を囲む食事会がありました。私はご飯も喉を通らなくて、小出さんに「お疲れさん!」とガンガンお酒を注がれて断れず飲んでいるうちに、ひっくり返ってしまいました。そのくらい緊張していたのですね。
ランナー時代はテレビのマラソン中継をいつも見ていて、解説者のコメントも注意して聞いていました。国際女子駅伝はバルセロナで走った経験があり、レース感覚も掴めていたので、軽い気持ちで引き受けてしまったのです。
しかし、いざ解説者の立場になると何をどう話せばいいかわからない。解説の難しさを痛感した経験でした。